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グッバイ、リチャード!ジョニデの猫みたいな終活の解説と酷評!あらすじネタバレ考察・感想/人物相関図

グッバイ、リチャード!

ジョニー・デップ主演の映画『グッバイ、リチャード』(原題:The Professor)を鑑賞。

ジョニデ演じる主人公・リチャードが余命半年と宣告されて、急にマリファナを吸い出してはじちゃう終活物語なんだけど、たくさんの発見があったので、感想をまじえながら解説や考察をしていく。あとちょっと酷評。

グッバイ、リチャードネタバレあらすじ相関図

登場人物の相関図

グッバイ、リチャード 登場人物キャストの相関図

あらすじ1:肺癌で余命半年宣告

肺がんで余命宣告を受けるリチャード

大学の英文学教授・リチャード(ジョニー・デップ)は肺がんで余命半年と宣告される。上手く受け止め切れず、しばらくの間「ファック」とぼやき続けた。

夕食で話そうとするが、娘・オリヴィア(オデッサ・ヤング)が突然レズだと告白し、部屋へこもる。さらに芸術家の妻・ヴェロニカ(ローズマリー・デウィット)は大学長のヘンリーと浮気をしていると話し出した。

リチャードは何も言えず、笑ってしまった。後日、ヴェロニカとウィスキーを飲み、「お互いこれからは、やりたい様にやろう」と話した。

酒を飲むリチャードとヴェロニカ

ネタバレ2:破天荒な教授生活

リチャードは、単位のために英文学の講義を受けている生徒に「Cの成績をやるから出て行け」と言い、残った数名とバーへ。

バーで酒を飲むリチャードと生徒たち

酒を飲みながら中年のウェイトレス・サラを口説き、トイレで性行為に及んだ。生徒たちは破天荒ぶりに驚くが、軽蔑はしていないようだ。

後日、女生徒・クレアはリチャードとバーで踊り恋心を抱くが、体調が悪化し、リチャードは倒れる。

生徒たちは名作「白鯨」の独自考察を大学の中庭で発表、リチャードと関係を持ったゲイの生徒・ダニーが持ってきたマリファナをみんなで吸って楽しんだ。

中庭で文学の授業をする登場人物

親友のピーター(ダニー・ヒューストン)は、飲み屋でリチャードが死ぬと分かって涙を流す。

親友ピーターとマティーニを飲むリチャード

妻のヴェロニカは学長ヘンリーのコネで、大学にコンセプチュアルな彫刻を建てている。

ネタバレ3:別れを告げて旅に出る

リチャードはピーターと教会へ行き、「病気で死ぬのは最悪だが、完全だった」と語る。

ヘンリー学長が教授たちやその家族を呼び、今学期終了の打ち上げパーティーを開催。リチャードはみんなの前で、近いうちに死ぬということを発表した。ヴェロニカにも別れを告げる。

家で娘のオリヴィアがガールフレンドのテイラーにフラれたと泣いている。リチャードは彼女を慰めたあと、旅に出ると言って家を出た。

リチャードは飼い犬・ジブルスを連れて車を発進させる。広大なT字路に出て止まり、右と左を眺めた。道のない真ん中を、笑いながら突っ切り走って行く。

グッバイ、リチャード!ジョニデの猫みたいな終活解説

表層的なテーマ

ジョニーデップのグッバイ、リチャード!

この映画にどんなメッセージがあったのか?

表層的なテーマは、「人が本当に生きるとはこういうこと」だといえる。

リチャードは人を嘲るし、酒や性欲にまみれて自堕落な生活を送る。ルールは無用。

倫理に反しているが、彼は短い期間で人間が生きることの美しさも汚れもひっくるめて周囲に見せたかったのだろう。

猫の死に方に通じる人の孤独

映画のワンシーン

一方、リチャードのドライな性格や周囲との関係、娘や妻にも最後まで病気を打ち明けなかったことから、「人は孤独だ」という裏のテーマが見えてくる。

リチャードは、多くの人間に囲まれて家族もいるが、それぞれ別の問題を抱えているし結局は孤独。「ならば最後は一人で孤独をまっとうして死にたい」それが文学者らしいリチャードの考えかもしれない。孤独と向き合うことで、はじめて自己表現できるのだ。

猫は死ぬとき、仲間のいる場所は選ばない。同じような美学をリチャードは持って終活に臨んだのだろう。

ブレイキング・バッドの主人公・ウォルターと近い

病気になって周囲の人間の温かさがわかる!そんな作品がほとんどだが、余命宣告で生きる意味を自分に問い直し、周囲に感謝しながらも内面では孤独になっていく。『グッバイ、リチャード』はそこが斬新だ。

あえて近い例を挙げるなら、人気海外ドラマ/ブレイキング・バッドの主人公・ウォルター・ホワイトだろう。彼も癌で余命宣告を受け、ドラッグの製造をしながら本当の自分に目覚めていく。

ただ、『ブレイキング・バッド』が5シーズンかけて心情を表現したのに対し、『グッバイ、リチャード』は1時間半しかなく、自己への目覚めをしっかり伝え切れていないと思う。

グッバイ、リチャード考察:共感を排除した詩的な作品

詩的な映画グッバイ、リチャード!

『グッバイ、リチャード』では、人間として偽りなく生き抜くメッセージと、孤独の自己実現がバッティングして、共感に乏しい映画だったことは確かだ。

具体的にいうと、主人公リチャードは自分の気持ちをほとんど語らないし、彼目線で写るシーンも少ない。

ただ、そういうハードボイルドなキャラは多いし、他の人物の見せ方でリチャードの気持ちがくみ取れるようになる。

しかし本作の場合は、周囲もめちゃくちゃドライ

妻は浮気相手と仲良くやってるので、最後も「バイバイ」という感じ。娘と親友がちょっと泣くくらいだ。これでは共感できない。

せめて、彼の生き方が生徒へどう影響を与えたかを、きちんと描くべきだった。

監督・脚本のウェイン・ロバーツは、共感でなくきっと詩的な表現を追求したのだろう。主人公は英文学者だし、映画を一編の“詩”にする意図はあったように思える。

最後の道無き暗闇へ突っ込むシーンが文学的で感動できた。あとは最初の学園の池にズブズブ歩いて入っていくシーンは詩的だったと思う。

池に入っていくリチャード

しかし全体としては、その方向に舵を切り切れなかった。

敢えて共感させない?グッバイ、リチャードの酷評を踏まえた感想

リチャードを演じるジョニーデップ

海外大手批評サイトロットントマトズで『グッバイ、リチャード!』の評価を見てみると、100点中、批評家たちの点数はなんと10点

The Professor (2019) - Rotten Tomatoes

いくら何でも低評価すぎる気がするが(個人的には70点くらい)…。

理由は鑑賞中共感できなくて、「知らない人がカッコよく死んでいくなあ」みたいな気持ちにしかならないのだ。

ジョニー・デップ主演の映画で例えると、『リバティーン』に限りなく近い。

他の例を出すと、映画『鬼滅の刃 無限列車編』は独白がめちゃくちゃ多くて感動できたけど、それと真逆の構造が、うまく機能していないようだった。

ジョニデは離婚した女優アンバー・ハード(アクアマンのヒロイン)とドロ沼裁判中なので、「もう孤独にカッコよく死にたい」そんな願望があったのかもしれない。それを『グッバイ、リチャード!』で表現したのだ。