Netflix映画 『マ・レイニーのブラックボトム』(原題:Ma Rainey's Black Bottom)を鑑賞。原作はオーガスト・ウィルソンの同名戯曲。
チャドウィック・ボーズマンの遺作となった映画で、1900年代初期のブルースバンドのレコーディングを通して、黒人差別の問題を切れ味たっぷりに体現している。
キャストの演技や考えさせられる機知に富んだセリフの数々は圧巻。見た後にいろいろ考えるべきメッセージ性の素晴らしい映画!
※黒人と表記してますが、蔑称ではないという見解です。あと記事は完全ネタバレです。
- マ・レイニーのブラックボトムあらすじネタバレ解説
- 出口なきブルースの醸造所『マ・レイニーのブラックボトム』考察
- 『マ・レイニー』キャストの圧巻の演技やセリフ解説
- 黒人の多様性/一括りに対する疑問
- 第93回アカデミー賞は衣装デザイン賞とメイク&ヘア賞のみ
- 『マ・レイニーのブラックボトム』結論まとめ
マ・レイニーのブラックボトムあらすじネタバレ解説
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ブルースの母と呼ばれる偉大な歌手マ・レイニー(ヴィオラ・デイヴィス)のレコーディングがシカゴのスタジオで行われることになり、バックメンバーが地下の汚いリハ室へ集まる。
新入りのトランペッター・レヴィー(チャドウィック・ボーズマン)が新しいアレンジを主張。すぐに自分のバンドを持ってこんな場所とおさらばするとまくし立て、バンドリーダーのカトラー(コールマン・ドミンゴ)や、老ピアニストのトレド(グリン・ターマン)と衝突して口論する。
レコーディングが始まるが、マ・レイニーの吃音の甥・シルヴェスターが曲出だしの語りを担当することになり、作業は進まない。
なんとかレコーディングを終えたメンバー。しかし自分の主張ばかりするレヴィーはマ・レイニーからクビを宣告される。地下室にあったドアを開けると、そこは袋小路の空間だった。
レヴィーはレコード会社の責任者で白人のメルに自分の曲のレコーディングについて尋ねると、曲に難癖をつけられ5ドルで買い取ると言われた。絶望したレヴィーはトレドに八つ当たりし、ナイフで彼を刺し殺してしまう。死んだトレドを抱えながら、レヴィーは失意の底に落ちていく。
『マ・レイニーのブラックボトム』完
出口なきブルースの醸造所『マ・レイニーのブラックボトム』考察
ブルースという音楽が本来、差別された黒人たちの悲しみの音楽だったと再認識させられた傑作。実話ではなくフィクションだが、当時の黒人ミュージシャンをめぐる状況がリアルに表現されている。
レコーディングスタジオで口論するレヴィーたちは、ブルースの醸造所にいるようだった。彼らの音・言葉のひとつひとつが血や歴史の集積・ブルースだ。
レヴィーは地下の汚いリハ室の奥にあった扉を開けても、そこに出口はない。彼らは一生“ブルースの原料”として醸造され続けるのだろうか。とても印象的なシーンだった。
『マ・レイニーのブラックボトム』は、差別という社会問題を、ウィットに富んだセリフとメタファー演出、そしてブルース音楽で包み込んだ最高の作品だった。
同じく差別をテーマにした『グリーン・ブック』などと異なるのが、キレイごとや希望を一切残していないところだろう。
白人の煽りで黒人同士が対立する。誰も救われないで終わる。
登場人物にかすかな光がさして終わるような映画的なストーリーでない。しかしそこに強いリアリティとパワーが感じられる。
『マ・レイニー』キャストの圧巻の演技やセリフ解説
キャストの演技もこの映画の魅力のひとつ。セリフを通じてそれぞれの登場人物のメッセージを考えてみた。
マ・レイニー/ヴィオラ・デイヴィス
ヴィオラ・デイヴィスが演じたマ・レイニー(実在するブルース歌手)の迫力が兎に角すごい。体も大きいし、声も迫力あるし、“ブルースの母”の悲しさと傲慢さを完璧に演じていた。
「世界にはブルースによって足されたものが確かにある」
など、音楽好きの筆者が考えさせられる、超名セリフが堪能できた。
世界はブルースの恩恵を受けている。ロックも生まれなかった。J-POPもブルースがなければ全く違うものになっていただろう。
しかしブルースが白人の手に奪われた(誤解を恐れずにいえば)とき、「ブルースが人生を理解するためにある」というマ・レイニーの想いも消えてしまったのかもしれない。
ラストで演奏していた白人バンドが下手だったのは、黒人のソウルを継承していないことの表現なのだろう。
女優のヴィオラ・デイヴィスは、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』(2011)『スーサイド・スクワッド』(2016)など数多の作品に出演。『フェンス』(2016)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。
レヴィー/チャドウィック・ボーズマン
トランペッターとしての才能で上に這いあがろうとした陽気な男・レヴィー。そんな彼は幼い頃、母が白人に襲われ、父が復讐して焼殺されるという悲惨な過去を経験していた。
スターのマ・レイニーやバンドメンバーのカトラーやトレドと意見を対立させ、威勢の良さの裏側にある狂気と悲しみを体現。
黒人VS黒人の構図になっていたのが印象深い。白人に虐げられたせいで黒人同士が傷つけあってしまうのだ。
チャドウィック・ボーズマンの演技力半端ねえのを見せつけられた!彼は、黒人初のメジャーリーガーを描いた『42 〜世界を変えた男〜』(2013)や、マーベル『ブラックパンサー』(2018)、『アベンジャーズシリーズ』などで有名。
カトラー/コールマン・ドミンゴ
バックバンドのリーダーで、レヴィーの才能に嫉妬しつつも、影で彼を庇ったりするダンディな男性。それぞれの苦悩を理解しながら、どうすることもできずにパイプ役となる中年だ。
カトラーを演じたコールマン・ドミンゴはドラマフィアー・ザ・ウォーキング・デッドシリーズのストランド役で好きになったけど、この映画の役柄もとても渋かったし一気にメジャーになりそう。嬉しい!
トレド/グリン・ターマン
本好きで小難しい言葉を並べるピアニスト。
「黒人にはさまざな部族がいるのにみんな鍋に詰められて“シチュー”にされた。俺たちはそこで残された残飯だ」というセリフが強烈だった。なんて印象深い言葉だろう。
黒人の文化の多様性など、すべて奪われてきたのだ。
物語の最後では、黒人のブルースを白人バンドが演奏するシーンで終わる。
“残飯”だったブルースまで白人に食われてしまったのだ。
黒人の多様性/一括りに対する疑問
老プレイヤー・トレドの発言の通り、黒人にも本来さまざまな部族がいたはずで、ルーツや文化が違うはずだ。
差別の問題で黒人全体を一括りにしての考え方は、当人たちからしてみれば侮辱にもなり得るのでは?
トレド的に言うと我々は“シチュー”全体だけで見て、ニンジンなどの具を見ていないのではないか?
そういう問題提起をした点で『マ・レイニーのブラックボトム』は評価できると思う。
第93回アカデミー賞は衣装デザイン賞とメイク&ヘア賞のみ
間違いから12年間奴隷にされた『それでも夜は明ける』(2013)。黒人でLGBTの超マイノリティがテーマの『ムーンライト』(2016)。知的な黒人と荒っぽい白人の友情を描いた『グリーンブック』(2018)。
並べてみると、2010年以降黒人問題を取り扱ってアカデミー賞作品賞を取ったものが多い。(それ以前で黒人差別を扱った受賞作となると、『クラッシュ』(2004)、『ドライビング Miss デイジー』(1989)となる)。
2010年代は、黒人と警察の痛ましい衝突事件を発端とするBLM(Black Lives Matter)運動が活発化し、社会的にも関心を集めているのだろう。
そう考えると、黒人の多様性や、格差が黒人同士の争いを生む斬新な視点を描いた『マ・レイニーのブラックボトム』が評価される可能性も大いにあると思う。
マ・レイニーがレズビアンなのも『ムーンライト』のようにマイノリティ問題で評価されるかもしれない。
そう思っていたが、『マ・レイニーのブラックボトム』は作品賞にはノミネートされず、衣装デザイン賞とメイク&ヘア賞での受賞となった。
2021年第93回アカデミー主演男優賞は圧巻の演技力を見せたチャドウィック・ボーズマンが受賞できると思い、2020年8月に大腸癌で惜しくも急逝したチャドウィック・ボーズマンの最後のはなむけになりそうだったが、受賞を逃した。
認知症を描いた『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスが主演男優賞を受賞した。(ホプキンスは会場に来ておらず、会場がざわついたらしい)
『マ・レイニーのブラックボトム』結論まとめ
考えさせられるセリフと、ヴィオラ・デイヴィスやチャドウィック・ボーズマンの圧巻の演技が組み合わさり、ブルースが出来た理由を肌で感じさせてくれたのが『マ・レイニーのブラックボトム』ではないか。
『グリーンブック』から一歩進んだリアリティと負のパワーに溢れている傑作となった。最高の演技を見せてくれた故チャドウィック・ボーズマンに合掌。
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