CineMag☆映画や海外ドラマを斬る!

新旧問わず、素晴らしい映画や海外ドラマの考察・解説・批評・感想を書いています。

首里城が焼失!燃えていったのは人々の心

本日2019年10月31日。首里城が燃えてしまった。正殿、南殿、北殿が焼け落ちた。イベントの準備か片付けをしていたということだが、原因は未だ不明。

3つの建物が綺麗に崩れ落ちたということは、放火の可能性もある。そして、あの有名な首里城が燃えたとはどういうことなのか。

燃えたのは平成における戦後復興の象徴

まず、首里城は14世紀末に造られたが、何回かの火災に見舞われ、戦争では完全に崩壊してしまった。今回燃えた首里城は1992年に復興されたものだ。

復興されたものだから価値がない!という人がいるが、その考え方は完全に間違っている。

元の首里城の残った遺構(いこう)を使っている部分があるので、歴史的な価値は少なからず残っている。そして、もっとも大事なのが人々の意思。

多大なる努力で復興した新しい首里城を喜び、戦前の面影を重ねてきた人々が大勢いた。その事実こそ、復元した首里城首里城たらしめたのだ。想い出の投影を誰が嘘と言えようか。人々の想いが集まり、首里城は47年ぶりに再び霊性を帯びた。つまり、本物になったのだ。

首里城 焼失前

そして、1992年に再建された首里城は、戦後復興の象徴であり、昭和から平成に変わって平和な時代が訪れたことを威風堂々と語っていた。他県からの観光客も、首里城で想い出を作ってくれた人は多いだろう。

それが燃えてしまったのである。燃えたのは首里城だけではない。心に引き継がれてきた先人たちの想い、復興の喜び、それから数多ある思い出の拠り所だ。

歴史的建造物を破壊する絶対悪

歴史的建造物の焼失と聞いて、まず思い浮かぶのが金閣寺(鹿苑寺)。1950年に放火され焼失。今の金閣寺は復興したものだ。

金閣寺 復興後

先ほども語ったが、歴史的建造物を破壊するというのは、単に歴史的な価値を失うことのみならず、先祖代々受け継いできた想いや、その場所を訪れて何かを感じ、それを心の拠り所にしていた人たちすべての心を踏みにじるものである。

幸福を奪っているのだ。人々の心の一部を殺しているのだ。

誰にその権利があるのだろうか。

今回の首里城焼失が放火によるものかはまだ定かではないが、もしそうだとしたら、到底許されることではない。

首里城は再建される予定だというが、思い入れのある人々は、放火であろうとなかろうと、この事件をしばらく引きずるだろう。

失われた心を取り戻すのには時間がかかるのだ。

しかし、首里城の火災は15世紀から数えれば今回を除いて5回あり、そのたびに復興してきた。時間はかかるかもしれないが、首里城は復興のシンボルとして、また沖縄の地に新しい姿を見せてくれるだろう。

議論!マーティン・スコセッシVSマーベル「MCUは映画じゃねえ!」アベンジャーズは投資家のヒーロー!?

2019年の11月27日にNetflixで最新映画アイリッシュマンが公開されて絶賛されたマーティン・スコセッシ監督のロックな発言が物議を醸している。

それは「MCUは映画じゃねえ!!」という、パンク少年のような口ぶりだった。

かなり過激なこの発言。MCUファンはもちろん怒り心頭。好きなヒーロー映画をバカにされて怒るのは至極当然である。

しかし、この「MCUは映画じゃない」発言の裏には、「映画の未来を守りたい!」という、おじいちゃん(スコセッシ)の力強いメッセージが込められているのだ。

どういうことか、わかりやすく説明しよう。

それから、これを機会にMSU(マーティン・スコセッシ・ユニバース)も観てあげよう!

問題は映画に多様性がなくなること

2008年、『ダークナイト』が世界を席巻しアメコミ映画ながら1000億円以上の興行収入を叩き出した。マーベルの『アイアンマン』の公開も2008年。この頃にみんな気づいてしまった。

クオリティさえ担保すれば、大人も子ども観られるヒーロー映画が一番稼げると・・・

それから11年、『アベンジャーズエンドゲーム』がアバターの興行収入を抜き、27億9020万ドル(2800億円超)という前人未到の大記録を打ち立てた。歴代興行収入のランキングはヒーロー映画で溢れている。

しかし、MCU大好きなキミはこう反論するだろう「ヒーロー映画面白いから別によくね?」

確かにヒーロー映画は面白い。めちゃ面白い。筆者もマーベルとDCコミックの映画は大体観ている。

ヒーロー映画が流行ることは直接的な問題ではない。

代償として、アメコミ映画など、ヒットしやすい映画が優先して作られるようになってしまったのだ・・・

一方、なんかちょっと小難しい系の映画には資金が全然集まらず、製作できなくなっていった・・・マーティン・スコセッシも『沈黙-サイレンス-』で大赤字を出して、資金が集まりにくくなっているようだし(アイリッシュマンは制作費が集まらず、Netflixが出資した)、あのデヴィッド・リンチ監督なんかは、2006年に『インランド・エンパイア』を作った時点ですでに、全然資金が集まらず、元嫁から借金までしたそうだ。

劇場で公開されるような作品がヒーロー映画ばかりになったら、それ以外の映画を観られる機会が減るということなのだ。

ヒーロー映画の投資回収率がズバ抜けて高いのが根底

一般的に世界的な大ヒットと呼ばれる作品は、どれくらい稼ぐだろう。大まかにはなるが、2億ドル(200億円)もいけば大ヒットと呼んで差し支えないだろう。

2億ドル稼ぎだそうとしている映画に出資したA社はウハウハ!ところが、その横でヒーローたちの大活躍がはじまった!

ヒーロー映画は親子で観れるので、大人向け映画と比べると、そもそもパイが大きいようだ・・・

アベンジャーズは20億ドルの興行収入も夢じゃない!そこへ出資していたB社は超勝ち組でごんす!

一方、収益が2億ドルの映画に出資したA社は、B社から「負け犬でごんす」といわれて泣いた。

要するに、投資先としてヒーロー映画の回収率(お金が返ってくる割合)がズバ抜けて高いのがハッキリしてしまったのがこの問題の根底にあるのだ。

今やアベンジャーズは、一流の投資家からみても立派なヒーロー!(参考→ハリウッド俳優のコスパ)

結果、ヒーロー映画が量産され、それ以外の映画に資金が集まりにくい流れができてしまった。例えば今、「タクシードライバー」のような革新的映画を作りたいと言ったら、企画段階で速攻NGが出るだろう。

タクシー・ドライバーのトラヴィス きっとスポンサーにこんな感じで断られる・・

芸術性が高い映画や、難解な映画などはそもそも資金回収できるかも怪しく、もっての他となってしまったのである。

ヒーロー映画すらつまらなくなる?

ここまでの話を極端に考えれば、アメコミ映画しか観ないたちは「まったくもって問題ない!」と言うかもしれない。しかし、この考え、実はけっこう危ないのだ。

現状のアメコミ映画は、社会派だろうがコメディだろうが、どんなジャンルでも作れちゃう優秀なスタッフが集結しているからこそ、大人でも十分楽しめる最高のクオリティになっている。

しかし、今後はアメコミ映画しか作ったことない人が、アメコミ映画を作るという時代になるかもしれない。

さまざまな映画を製作してきたスタッフが作ったアメコミ映画と、アメコミ映画しか作れない人のアメコミ映画。どちらが完成度が高くなるだろうか。

よく言われている、「アニメばかり観てた人が作り手になったから、今のアニメは面白くない!」というのと同じ理屈だ。

まあ、これはただの理屈なので、単純にそうはならないと思うが、「昔のアメコミ映画の方が面白かった」という未来になってしまったら笑えない。

これが、スコセッシ監督発言の本質で、多様性がなくなると業界全体のクオリティが下がってしまうということだ。

解決策はないの!?

結論からいうと解決は非常に難しい。

なぜなら、同じクオリティなら観る年齢層が幅広いヒーロー映画の方が何倍も稼げるからだ。

そもそも僕らが騒いでどうにかできる程度なら、おじいちゃん(スコセッシ)がとっくに解決しているだろう。

具体策としては、

  1. 子どもがハマるマフィア映画をスコセッシ監督につくってもらう
  2. アイアンマンの死ぬ間際の夢をデヴィッド・リンチ監督に映画化してもらう

くらいしか思いつかない・・・

他にできることといえば、MCUだけでなく、MSU(マーティン・スコセッシ・ユニバース)をたくさんの人が観るべきだろう。

ハリウッド、そして日本映画界の未来はいかに・・・

夏目漱石『こころ』毒舌書評!つまらない理由考察!明治の精神や疑問点,感想ネタバレ

夏目漱石の『こころ』は、なぜかずっと敬遠していたのだが、本屋で見かけて「名著だから読んでおくか」というくらいの気持ちで買って読んでみた。

個人的な感想なので本当に許して欲しいが「めちゃくちゃつまんなかった!」

僕は本は好きだが、読むのが早い方ではないので、結構な時間を費やしてつまらなかったらつい腹を立ててしまう。しかし、ここでは僕の習性はひとまず置いておいて、

なぜ名著『こころ』がつまらなかったのか、いくつか理由を挙げ、それに対しての感想や分析などをしていこうと思う。

ちなみに、『こころ』が好きという人も勿論いると思うので、そういう方は先を読まなくてもいいかもしれない。気分を害したくて書いているワケではないし、僕が完全に正しいワケでもないので。

『こころ』ネタバレ考察!先生の倫理観や分析が非常に薄い

『こころ』は先生(主人公が尊敬する人物)の遺書で話が終わっており、しっかり完結していない。先生の遺書が長過ぎるなどの欠点は以前から言われているが、問題はそこではない。

『こころ』がつまらない最大の理由は、先生の倫理観や分析が非常に薄いというところにある。

個人的な結論を述べると、一般人が誰でも考えたことがあるような内容がほとんどで、人間に対する分析力の非常に弱い物語になってしまっている。

『こころ』は学生の“私”と“先生”による、自己や人間の洞察が主体になっており、エゴイズムや個人の倫理観と社会の相違を追求した作品だといわれている。なのに、人物の内面描写がめちゃくちゃ浅いのだ。

確かに、西洋の倫理観が完全に輸入されていない1914年当時は斬新な内容だったのだろう。現在でも読める文章を書いた功績自体は非常に大きい。しかし、今の人が読むと「こんなことみんな考えてるよ」と感じるような内容である。

考え方自体が真新しいものではなくても、独自の理論などがうまく表現されていれば、いつの時代になっても面白いはずだが、『こころ』には、そのオリジナリティーが殆どない。

例えば、有名な『精神的に向上心がないものは馬鹿だ』という有名な文章。

セリフとしてはいいと思うけど、K(先生の親友)が普段先生に言っている、世俗にうつつを抜かさないで、達観を目指せ!という、誰もが考えている感情を逆手に取っただけで、中学生ならまだしも、エリート大学生が言うには説得力のなさすぎる文章だ。

今の中高生風に言い換えると「お前、今アイツに告白して付き合ったら受験失敗するぜ!」という感じの恋愛戦法だろ・・・なんかとても浅く感じてしまう。

西洋の個人主義に対して明治の精神の滅び宣言

先生の自殺に関して、乃木希典という陸軍大将が、明治天皇の崩御(お亡くなり)をうけて、殉死(主君を追って自殺)したという事件が後押しになったという文章がある。

私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。引用元

先生が乃木大将の殉死をここまで真剣に受け止めていたことから、『こころ』という作品は、明治時代以降の、近代的民族主義(欧米の思想と日本思想の混在)における人々の精神の変容を内包しているといわれている。人のこころって変わっていくよね。わびさびだね〜ということなのだろう。

その理屈はわかるが、だからといって、『こころ』が名著だということとイコールにはならない。

時代背景や変容を、一見それとわからないように、別なストーリーで描くという手法は、もっと昔からあるし、今も普通に行われている。当時はある程度斬新だったかもしれないが、こころが確立したことでもないだろう。

疑問,現代人が心情を理解できないだけ!?

さらに『こころ』という作品の良さがわからない人については、こんな論議がある。

「先生は忠義などといった儒教精神、明治時代やそれ以前の美徳や倫理観を持っているがために悩みぬき、自殺したが、悩みの深さ自体が、今の読者の考え方とかけ離れていて、わからないだけ」

というものだ。

いや、そんなことはない。

なぜなら、それ以前の時代を美化した『忠臣蔵』など忠義・義理・人情や、それについての葛藤をテーマにしている、数多くの時代劇作品などは、現代日本人の大多数に馴染みがあるものであり、みんな楽しめているじゃないか。

もちろん、その時代に実際に生きてはいないので、忠義・義理・人情を完璧に理解している現代日本人は少ないと思うが、それでも雰囲気は感じ取れているはずである。

単純に文章から、先生の“憂い”からは大切にしてした倫理観を自分で裏切ってしまったという激情や葛藤の深さが伝わってこないというのが『こころ』が面白くない原因だろう。

夏目漱石の『こころ』は駄作でつまらん!?書評まとめと感想

以上のことから、『こころ』はストーリーが画期的!というワケでもなければ、心情理解を現代人ができないからつまらなく感じる!ということでもない。

個々の文章自体の洞察力が低かったり、表現がそこまで面白くなくても、文学として評価できるのか?という疑問が消えない。

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太宰治小説『人間失格』ネタバレ考察・解釈!異人の社会生活コメディ?サスペンス?伝えたいこと解説

太宰治 人間失格

夏目漱石の『こころ』と共に、日本で最も読まれている小説と言われる『人間失格』。

小栗旬や沢尻エリカで『人間失格 太宰治と3人の女たち』として映画化などもされている。

1948年の刊行当初から大きな波紋を呼び、現代に至るまで、常に話題の一線に居続ける作品である。

この小説が何を伝えたかったのか、一般的な解説を述べると共に、それに付け加える形で、『人間失格』の構造的な秘密や“喜劇“的な観点に注目して考察してみたいと思う。

というのも、この小説の完成後に太宰が自殺したことも相まって、悲劇的な面にしか注目していない人が多いと感じたからだ。

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小説『人間失格』の一般的な解釈

人間失格の本

『人間失格』はどのような物語か!?

一般的な解釈は、主人公葉蔵には人間的に屈折した部分があり、苦しみながら、人について悩み、絶望を感じていくというものである。

屈折した主人公のモノの見方が、ある面、純粋さにも感じられるため、真に人間らしく生きようとすると、絶望するというのがテーマだと捉える人もある。

さらに、太宰が青森の地域の名士の家に生まれ、父や母の愛情を十分に受けられなかったという事実や、『人間失格』本文の、

女中や下男から、哀しいことを教えられ、犯されていました。引用元『人間失格』

という部分から、葉蔵が、ネグレクト(育児放棄)や性的虐待というトラウマを持った、境界性パーソナリティ障害であり、『人間失格』は境界性パーソナリティ障害者の手記であるという見方をしている人もいる。

これらの解釈は正しいと思うし、これらの側面が傷を負って生きている戦後〜現在の人々から、凄まじいまでの共感を得ることになったというのも分かる。

しかし、これらの考え方のみに囚われてしまうと、『人間失格』の娯楽性に目を向けられなくなるし、作品の偉大さも損なわれる気がする。

そもそも論として、太宰治が境界性パーソナリティ障害であり、作品にその影響が現れているのが事実だとしても、本人には別の意図もあったかもしれないという考え方が抜け落ちている。

作家には、多少なりとも心に問題を抱えている人が多い。彼らの作品を、彼らの病名からくるものだと単純に結びつけて捉えてしまえば、創作された芸術性まで剥ぎ落とされることになる。

太宰は作家なのだ。創作者なのだ。心の問題については、あくまで作品の一要素だと考えたほうが、物語に広がりと深みが出るだろう。

コメディ(喜劇)としての人間失格

人間失格 文庫本

『人間失格』を読んだ人ならわかると思うが、葉蔵の手記では、自分にまつわる悩みや悲劇がほとんどコメディタッチで書いてある。

葉蔵は自分の悲哀ではなく、起きた出来事と距離を取った風な感じで、事実を淡々と書いている。爆笑という類(たぐい)のものではないが、終始苦笑いさせられるような文章だ。

もとより太宰は、『御伽草子』などでわかるように、バカバカしさや滑稽さに富む表現を多く用いている。滑稽な表現は大得意なのだ。

葉蔵の苦悩を喜劇風に書いているから『人間失格』は喜劇である!と一概には言えないが、悲しさも可笑しさも、両面を含んだ“悲喜劇”だということは間違いないだろう。

太宰の作家性を考えると、葉蔵という自身の投影を描き、みんなに笑ってもらいたい、こういう破滅的な人生は笑えると感じてほしいという思惑もあったのではないか。そう思えて仕方がない。

異世界から現れた葉蔵の社会生活

人間失格のイラスト

ここでは、僕が考える『人間失格』の一つの見方を解説したい。

『人間失格』が単純な境界性パーソナリティ障害者の物語ではなく、喜劇性も含んでいると考えて場合、そのストーリーについて、突如、異世界から現れた異人=葉蔵の社会生活と捉えることができないだろうか。

葉蔵は、人間の形をしているが、思考パターンが全く普通の人と違う“異人”の物語だと考えたら、斬新で面白いのではないか。ライトノベルの異世界のモノの原型という側面を持っているように感じる。1948年からラノベやってるってすごくない(笑)!?

家族を含め、他の人間が全員別の種族であるとき、社会に生きる意味や成功する意味はそもそも無い。

違う種族と接していると考えると、どれほどの恐怖を感じているだろうか!?

例えるなら、未開の食人族に潜入した一人の現代日本人

徹底的に観察して、彼らと同じ行動をしないと、食べられてしまう。葉蔵が感じていたのは、そんなとてつもない恐怖だったのかもしれない。

あくまで、分離は病気でなく、自分の意思で作った仮面であり、『人間失格』は異化効果(葉蔵に共感させない表現)も強調した物語でもあるのだ。

最初に説明した通り、これはひとつの捉え方なので、他の見方が間違っている訳ではない。むしろ、色々な側面が同時に存在する作品だといってよい。

どんでん返しサスペンスとしての人間失格

人間失格(太宰治著)

  1. 葉蔵の物語を私が他人事のように“あとがき”している
  2. マダムの「神様みたいないい子でした」というセリフ

この2点のが重なり合って、『人間失格』は、どんでん返し系のサスペンス小説としての一面も併せ持つ。

なぜなら、葉蔵=太宰と考えて読み進めていると、後半で作家・太宰が出てきたときに大きな違和感がを覚えるからだ。

葉蔵と太宰を同一視するとトリックにひっかかった気分になる。

太宰が葉蔵として生活したあと、その生活を切れさっぱり忘れ去って、小説家になっているような印象だ。

そんな太宰に背筋がゾクッとするような寒気を感じないだろうか。

廃墟で老女と暮らす葉蔵は、太宰の中で生きている。葉蔵=太宰の絶望といえる。

(絶望を客観的に見れているのは救いかもしれないが。)

もちろん、『人間失格』の物語が、太宰=葉蔵と言っているのではなく、あくまでそう見えるというだけなのだが、その距離感が絶妙で面白い。

もっと面白くサスペンス的に考えれば、京橋のマダムは“私”が葉蔵だと知っていながら、手記を渡したのかもしれない。

考え過ぎかもしれないが、こんなサスペンスのカタルシスも得られるのが、『人間失格』の魅力の一つだろう。

人間失格が現代人の聖書となる理由を考察

文庫本 人間失格

『人間失格』は様々な批評家によって、「悩みを抱えて生きる人たちに自分の物語だと思わせられる物語だ。」、「この作品を読んで救われる人がたくさんいる。」と言わしめているが、最初から結末までずっと悲惨なのに、救われる人がたくさんいるというのはどういうわけか?

人間関係に現れる違和感が、ものすごい洞察力で書かれているので、自分と同じような考え方をしている人が存在する!と分かる嬉しさも、もちろんあるだろう。

付け加えるなら、悲劇と喜劇の両方を持ち合わせ、作品内の作品になっていることもポイントだ。

『人間失格』の葉蔵は僕かもしれない、葉蔵は打ちひしがれながらも、それがどこか可笑しい。

さらに作品の中の作品という形になっているので、入り込んだ読者は、自分たちのマインドがいきなり現実を突きつけられるような印象を受けず、適度な距離感を保って一緒に芸術作品になるような、不思議な感覚を得られるのだろう。

これが『人間失格』で読者が救われる秘密かもしれない。

太宰治が自殺した理由を考察/性格について

太宰治

作家の心の問題から作品を断定する愚を語っておいて、人間失格から太宰治が自殺した理由を読み解こうという姿勢はおかしいと考えるかもしれない。

しかし、僕は完全に決めつけるのは危険だと言っているだけで、作家と作品の関連性を考えることは、もちろん役に立つと思っている。

話は本題に戻るが、太宰治が自殺した理由は、『人間失格』の最後の

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」引用元『人間失格』

という、京橋のマダムのセリフに集約されていると思う。

京橋のマダムや、周りの人間から、「神様みたいないい子」だと思われていたということはつまり、誰も葉蔵の苦悩を知らず、彼を全く理解していなかったということに他ならない。

葉蔵に投影された太宰は、自分が誰からも理解されていないことを悟っているのだ。

その感情が、自殺の根底にあるのではないかと思う。

太宰治の他の作品を読んでいても彼自身が「悩みを素直に打ち明けるのが苦手で、またそれ自体美徳でない!」と考えているような印象を受ける。

太宰治は非常にややこし性格で、自分の中だけで堂々巡りを続けた結果、世間との乖離を感じ、死にたい願望が膨らんでいったのではないだろうか?

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「異人(いびと)」散文詩を書いてみた。

「異人(いびと)」散文詩を書いてみました。

詩はあまり書かないのでお手柔らかに。平日の午後の美味くも不味くもないお茶と一緒に読んでみてください。

「異人(いびと)」

俺は今まで普通の目でみれば、残忍だ卑劣だと唾を吐かれるような行為を数多くしてきた。君だってそのうちのいくつかは知っているだろう。しかし、大抵の偉人がそうであるよう、映像化されると、とことん”ポップ”になってしまう。映画やテレビで語られていることは、俺のほんの爪のアカ程度だと思ってくれればいい。爪のアカ。それ以上でもそれ以下でもない。例えば、俺は信号機にムカつく奴の脳みそをぶら下げたこともある。(いや、これも所詮“ポップ”か。)頭が空っぽの状態なら、赤も青も”脳みそ”も関係ないからな。

決して残忍な俺自身に酔っているわけではないし、頭が”オカシイ”に賛同して欲しいという気も毛頭無い。世の中には、俺を信俸している奴らが結構な数いるみたいだが、そんな奴らこそ、俺が本当に殺してやりたいと思っている連中だ。“カリスマ”とは、言ってみればクソの掃き溜めだ。みんながその大きな穴にクソをしまくるから、臭いが目立ってハエが群がるのさ。頼むから、俺をクソまみれにしないでくれよ。

やりたいことが色々ある。まずは、俺にとってのハエも、俺に群がらず嫌悪し遠くから見ている人間も、大差ないと教えてやりたいのさ。俺は差別はしない主義だ。等しく憎みたいのさ。理解してくれる人間になかなか会えなくて残念だな。(もしもいるなら、すぐ電話して欲しいくらいだ。誰をどんな風に殺すか、デカいテーブルに集まってナメクジみたいに考えているより、よほど有意義な話ができるだろう。)

出鱈目だと思っているだろう。そうだなあ、例えばその辺にいる政治家でも、鮨屋の大将でもさらってきて、一瞬で生きる理由を奪ってやることは、それほど難しくない(完全に崩壊させず、喋れる状態にするには、経験とテクニックが必要だが)。そして、今までと違う理由を与えてやる。“生きる理由”なんてジャンクフード並みに陳腐な言葉だが、人間ってやつは、そいつが無くなると呻き声をあげ、つぎにぶらさげてやった理由に、二日エサを抜かれた犬みたいに食い付きやがる。そうして、そいつは今までとは違うまったく別の人間になってしまうのさ。演説中に赤ちゃん言葉を使ったり、魚を見ただけで吐き気を催す愉快な人間にだってしてやれるぜ。

悲劇かって?いや、それがそうでもないんだ。そいつは以前の生活と同じように、飯を喰うし、クソをするし、女に興味を持つし、鼾をグウグウかきながら寝ちまう。ただ、ネクタイや暖簾(のれん)が変わっただけなんだよ。「おい、なんでずっと同じ、ダサいネクタイをしているんだ?」本人が気づかないなら俺が変えてやろう。そういうものが、真の人間じゃないのかい。

つまり、心のない人間が多いから、俺が必要なのだ。現代の人間を一言で表すなら、一生懸命なぐり合いしているように見えて、どっちも傷ひとつ負っちゃいない、粘土みたいな奴らなのさ。それこそ、真の悲劇じゃないか。殴ったときの得もいえぬ感触も、殴られたときの腹ワタの煮え繰り返りも知らないのだ。生きることがわからない。無知と魂の死を晒しているだけだ。そんなかわいそうな状態を、人生と呼べるのか、そいつらは生きているのか。なあに、不安がることはない。俺が変えてやるさ。

「帰らなきゃ」

ある物語を思いついたので書いてみた。2000字くらいの短編。常日頃、映画の脚本を考えているが(趣味だけど)、これは映画にはならないだろう(笑)

僕が自分でみた夢を脚色したものなので、かなり特異な内容になっているが、極上の霜降りステーキというよりは、珍味でも食ったというような気軽な感じで読んで欲しい。

帰らなきゃ

コムは山へ行った。

山へ行ったといっても、一人で行ったわけではない。コムはまだ5才。その日は幼稚園の遠足だった。

場所はコモラ山だ。集落の北側に鎮座するように、毎日陽の光を存分に浴びている。なんだか偉そうといえば偉そうな山で、寂しそうといえば寂しそうな山だ。

町の人間は気分転換に、山によく登る。コモラ山というそれらしい名前こそ付いてはいるが、1時間あれば、頂上まで登って降りてこられるような気軽な場所だった。

コムは先生に連れられ、朝から出発し、十数名の園児と一緒に、開けた町の頂上にたどり着いた。

低木が生い茂り、木苺(キイチゴ)がたくさんなっている。お弁当を食べた園児たちは、おもいおもいに遊び始める。

大人から変な入れ知恵をされた子供は、「木苺は汚いから食べない」と強がってみせるが、ほとんどの子供は、たくさんなっている実をもいで、自分で採った果物は美味いと言わんばかりの自慢げな笑顔をみせていた。

コムも、もちろん木苺を頬張った。しかし、他の子供のように食べた数を競うのではなく、大きい粒のものや、イキイキとした色のものを見つけ、誰に自慢するでもなく、ひとり悦に入っていた。

気に入った粒を見つけ、手にとって眺め、口にほうばって甘さを確かめる。覚えたての時間の概念がなくなり、ずっと続くかのように感じられた。

不意に、先生の「そろそろ帰りますよ〜!」という声に、意識が連れ戻された。コムは小さい掌をぎゅっと握った。中に木苺がなくてよかった。全て自分の思うままだったこの場所での時間が、ここで終わってしまうのだ。しかし、コムにある考えが浮かんだ。

先生を先頭に、園児たちは山道を降りはじめた。コムは降りなかった。一旦、最後尾に加わって、すぐに木の後ろに隠れたのだ。のちに先生が、人数が足りないことに気がついて引き返してくる、という淡い期待もあったかもしれない。しかし、誰かが戻ってくる様子はなく、コムのいる場所から、次第にみんなの声が小さくなっていった。

踏みしめる小枝の音だけの世界。コムは一人きりになり、いっとき不安に襲われたが、すぐに達成感がそれを上回った。今日は家に帰らなくていいのだ。帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、遊び飽きたおもちゃで遊んで、義務のように眠りにつく、決まりきったことは、何一つしなくていいのだ。

コムは自由になった。すべてを許されたかのようだった。自分の気の向くままに行動できるのである。その日は、木苺を食べて、草むらに寝っ転がって眠った。次の日は、山の裏側を流れる川を見つけ、水遊びをしながら、岩の間の魚を見つけてなんとかつかみ取り、「えいっ!」と、生で食べた。

それから、いく日が経っただろう?コムには日付などわからなかったが、とにかく、自分の中で大きな時間が経った。満足できる時間だ。山では、全てが自分の時だった。

不意に町に帰ってみようとコムは思いついた。これだけ長い時間が経っていれば、町の方でも、何か変わっているかもしれない。そんな漠然とした興味に駆られ、倒木を避けながらけもの道を駆け降り、走ってコムが住んでいた家についた。

窓の外からのぞいてみた。一人の男の子が遊んでいる。コムのおもちゃでだ。自分に兄弟はいなかったはずだ。弟というものができるほど長い年月、自分は山にいたのだろうか?

母親が「コム!!」と優しい声で呼ぶのが聞こえた。夕ご飯の声だ。いい匂いがしてきた。突然、大きな安堵が襲ってきた。自分はまだ、この家に帰って来てもいいのだ。

そのとき、おもちゃで遊んでいた男の子が返事をした。おもちゃを面倒くさそうに元あった場所に戻している。コムは理解した。自分はあのときの遠足から帰っていたのだ。ちゃんと帰っていた。涙が込み上げてきた。じゃあ、自分は一体なんなのだ?

窓から入ろうとしたがやめ、山のねぐらに戻った。大木の穴の中。風も吹かない夜なのに、眠れなかった。母親が自分を呼ぶ声が、繰り返し頭で鳴っていた。

次の日は、川で泳ぐことにした。長い時間潜った。無我夢中で泳いだ。

そして、山でさらに大きな時間が経った。ある日、川の大岩の下側、水面からコムの背丈ほど潜ったところに、穴がぽっかり空いているのが見えた。不気味だが、人一人くらいは通れそうだ。コムは興味に駆られ、その穴の中に入っていった。暗い穴のトンネルを少し泳ぐと、上に光が見える。大岩と別の大岩の間の空間に顔を出し、かすかな光が差し込む場所にあがった。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。

老人が座っていた。「客が来たか。珍しい。小さな虫くらいのものだからな。この穴に入ってくるのは」

コムは人がいたことに少し驚いて、こんなところで何をしているのか尋ねた。

「観ているのだ」

「何を見てるの?」

「全てを」

「そばの川や、木苺さえ見れないこの岩の間の穴で?」

「わしくらいになると、何も見えない場所から、すべてがみえるようになるのだ。わかるようになると言った方が合っているかなあ」

「今は何がみえるの?」

「君がみえておる」

「それはわかるよ。じゃあ、僕の名前は」

「そんなもん。どうでもよい」

「なんだよ。何も見えてないじゃないか」

「君はまだ頭で考えているな。自由に生活して、理屈が必要ないはずの君が。不思議だ。」

「コムだよ名前は。こんなところで、僕が何をしているかは聞かないの?」

「それは分かっている」

老人は、少し悲しそうな目をして、岩肌に雄鴨色に生え揃ったコケを眺めているふうだった。

「捨てられたんじゃよ、君は。コムに捨てられた、もう一人のコムなのだ。」

「君は、今の人間界ではまったく必要の無い存在だ。だから、山を降りるときコムに捨てられたのだ。決まり事に耐えられず、未来を考えることも嫌いだ。君は人間の最も動物らしい部分だ。野生の性質そのものだといえるだろう。」

コムは捨てられたという喪失感と悔しさ、こそ覚えたが、不思議と涙は出なかった。それに、理解も追いついていない。

「わしは子供の頃、山を降りたのだ。そして世俗にまみれて育った。勉強をし、結婚をし、子どももできた。孫に子どもも生まれた。後悔はなかった。ただの一つを除いて。それは、あのとき、山を降りてしまったことだ。自分を置いて、山を降りてしまった。心をひとつ捨てたのだ。何十年も生きたが、あの時ほど無心に楽しめたことは、一度もなかった。だからわしは、山に籠ったのだ。」

コムは理解した。そして老人はなおも言葉を続ける。

「会いたかった。長い時間が経ってしまったがやっと会えた。残りは短いかもしれないが、君と生きてみたい。」

湿った空洞に、しわがれた声がこだまする。

コムはうなずいた。

老人は、自分が観ている世界を、受け入れることができた。木や草や花、山全体を味わった。コムの姿はそこになかった。

アベンジャーズエンドゲーム予想的中!マーベルフェーズ3の結末を予言!

エンドゲームの公開前に結末を予想していたのだが、見事に的中した!(一部)

この記事はマーベルアベンジャーズエンドゲームのワクワク感と僕の推測を綴ったものである!

エンドゲーム公開にワクワクする僕とストーリー予想

ムビチケでアベンジャーズエンドゲームのチケットを購入し、無事席(一番後ろの真ん中らへん)も指定しチケットを入手!

映画アベンジャーズ エンドゲームのチケット2枚

4/26の当日映画館に準備は万端なので、どうせなら結末を予想してみようと思う!!欲しいものは結末であろうと先に手に入れる!それがジャイアニズム!

未公開作品の結末を考えることほど面白いものはない。

そして、大抵外れる。外れた場合は僕の負けで、謝罪周りをした後にサノスに消される事となる。

アイアンマンとキャプテン・アメリカ

予想1 過去にバック・トゥ・ザ・フューチャー

インフィニティーストーンのパワーをどうにか利用して、もしくはアントマンかキャプテンマーベルが鍵となって、みんなが消される前の過去へ戻り、サノスをボコボコにするという展開!

普通にやってしまうとありきたり感がやばいが、、アントマンのラストで量子論(りょうしろん)云々かんぬん言っていたので、過去に戻るとすればアントマンが鍵になるだろう。

タイムトラベルはありきたりと言いながらも、細かい設定や描写が上手くいけば、あっと驚くバックトゥザフューチャーのような感動も味わえる。

シーンとして美味しいのは、過去でストーンに細工をし、サノスが指パッチンしたときに誰も消えない!とかかな。

どうせ過去に戻るなら、サノスが生まれる前にサノスのかーちゃんを倒すというターミネーター展開もアリ。しかし、ジャイアン理論で考えれば、サノスのかーちゃんはサノスより強い。。

予想2 消されたメンバーはパラレルワールドにいる

アベンジャーズの半分のメンバーが死んだ!とかみんな言ってるけど、本当はインフィニティーウォーで消えたメンバーは、死んだのでなく次元が違うパラレルワールドに行っただけ。

言い換えれば、インフィニティーストーンの力は別次元のもうひとつの世界を作り出すというもので、消えたと思ったメンバーたちの方から見れば、残っているメンバーが消えているとう事なのだ。なんかありそうじゃない?

この予想はどこのWEBサイトもしていない。世の中想像力がない奴らばかりだぜ!!

サノスは両方の世界に存在でき、彼を倒せばエンドゲーム!

パラレルワールドといっても元は同じ世界なので、サノスを倒すためにそれぞれの世界で協力できる条件かなんかがあるのだ。

この場合、指パッチンでなくサノスに普通に殺されたヒーローはどうなるの?という疑問が湧くが、そこはソウルストーンとかがどうにかしてくれるのだろう!

予想3 タイムトラベル+パラレルワールド

タイムトラベルだけやってしまうと、細かい展開はさておき「やっぱりか〜」となってしまうので、パラレルワールド展開もくっつけるというもの。予想1と予想2のミックスである。

これなら登場人物が多くても、2チームに分かれるので映像や場面の切り替えもバシッと決まる!!

エンドゲームでありそうなこと

ハルク復活は間違いない

まず間違いないのが、前作でサノスにボコられて弱虫になったハルクが、パワーアップして復活するというもの。僕らのハルクがサノスをパワーで圧倒する場面が観られるかもしれない!

キャプテンマーベルが出しゃばる

キャプテンマーベルがある程度出しゃばる事は間違いないだろう。

しかし、最近(映画としては)ポッと出てきて最強とか言っているし、ブラックウィドウを演じるスカーレットヨハンソンより可愛いいとも思えない。

個人的にはあまり活躍して欲しくない存在。長編ドラえもんにいきなり出木杉が参戦してくるみたいな感覚。

僕の1400万分の1の予想結果は大当たり

2019年の4月11日に予想で【バック・トゥ・ザ・フューチャー】という言葉を出している。今作ではトニー・スタークが「バック・トゥ・ザ・フューチャーを地で行こうってのか!?」というセリフののち、みんなで過去へタイムトラベルだった。

タイムトラベルは誰でも予想できる!しかし、事前にバック・トゥ・ザ・フューチャーと言っていた強者は僕以外いただろうか!?僕は勝手に運命を感じてしまった。

さらに、エンドゲームの予想の部分からこの記事を読んでくれた人はわかると思うが、サノスの指パッチンが不発に終わるというシーンも僕は予言している。(※予想の部分はエンドゲーム公開後に全く書き加えていない。信じてくれ!)

公開前にバック・トゥ・ザ・フューチャーと指パッチン不発を予言していた僕は、1400万605分の1を予想できたと自己評価しても良いだろう!!ってゆうか、誰でもいいから褒めて欲しい。

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バットマンVSアイアンマン付き合うならどっち!?DCジャスティスリーグとマーベルアベンジャーズの違い解説

共にアメコミ史上で絶大な人気を誇るバットマンとアイアンマン。

元はスーパーパワーを持たない人間であり、大企業を有する大金持ちでプレイボーイと、設定に共通点も多い。

そこで実写映画での2人を比較して、女性目線でどっちと付き合いたいか考えてみると、あらまあ!

DCコミックスのジャスティス・リーグとMARVELのアベンジャーズの特徴が、非常にクリアに浮かび上がってくる!

さっそく、2人の大きな違いを比較しながら、女性としてアリかナシか考えてみよう!

正体を公表しているorいない

バットマンとアイアンマンで決定的に違うところが、正体を公表しているかいないか!

アイアンマンは大勢のマスコミの前で堂々と正体を公開しているが、

記者の前で会見するトニー・スターク

一方のバットマンは、湿った洞窟で自分の正体を探る人々をニュースで見てはニヤつく傾向がある。

[caption id="attachment_2194" align="aligncenter" width="347"]ニヤつくバットマン ニヤけるバットマン[/caption]

正体公表の有無がどう影響するかというと、一番はやっぱり敵を倒した後の打ち上げ。

アベンジャーズはどこぞの高級ホテルをワンフロア丸ごと貸し切って、メンバー以外も参加できる派手なパーティーを楽しめる。

女性としてはそんなパーティーに是非とも参加したいだろう。

豪華絢爛なパーティー

しかし、ジャスティス・リーグはそうはいかない。

バットマンは(加えてスーパーマンも)正体を世間に明かしていないので、たくさんの人を招待して打ち上げしようと思ったら、バットスーツのまま参加せねばならない。

すると、気を利かせたのか目立ちたがり屋なのか、バットマン以外にもバットスーツを着ている人間が何名か紛れ込み、気づけば会場はまさかのコスプレ大会。

バットマンダンス

あなた最終的に”本人よりバットマンに詳しいコスプレオタク”たちに囲まれ、打ち上げ終了時刻まで50回は、腕時計を確認することになる。

じゃあ仕方ない!ジャスティス・リーグの打ち上げはメンバーと内輪だけで宅飲み!(ブルース・ウェインの家)となったとする。

ワンダーウーマンは島育ちの田舎者だし考え方が古いが、綺麗だしまあ良しとしよう。

あとのメンバーはというと、ドンくさい新聞記者、コミュ障、自己嫌悪サイボーグ、マッチョな半魚人、、、盛り上がるわけがない、、

頑張って敵を倒しても打ち上げがイマイチ盛り上がりに欠ける!ジャスティス・リーグはとっても可哀想である。

あなたが女性なら、アベンジャーズとジャスティス・リーグの打ち上げどちらに参加したいだろうか?

次は2人のパーソナリティーについて考えてみよう!

トラウマ持ちor持ってない

アイアンマンは両親が死んだ原因を交通事故だと思っていたため、トラウマを抱えていない。

トラウマのないアイアンマンは変身しても性格は変わらず、ジョークを飛ばしながら戦うので、アベンジャーズもチーム全体として明るい雰囲気になる。

一方、バットマンは幼い頃両親を失った出来事でトラウマを抱えて生きている。

変身中はトラウマが全面に現れ、言葉数が少ない根暗男子に!オマケに雨まで降る。

雨に打たれるバットマン

ワンダーウーマンやコミュ障(フラッシュ)がなんとか戦闘を盛り上げようとするが、やはりチーム全体としては負のオーラが圧倒的。

ジャスティスリーグ

頑張って敵を倒しても戦闘がイマイチ盛り上がらない。ジャスティス・リーグはとっても可哀想である

それだけでなく、ティーンの女の子たちに「ジャスティス・リーグないわ〜」という烙印まで押されることに。

次の章ではパートナーシップに焦点を当ててみた!

パートナーがコロコロ変わるor変わらない

映画のアイアンマンは2008年から一貫してペッパー・ポッツというパートナーがいる。

一方、実写映画版のバットマンはパートナーの女性が毎回変わる。

しかも、大方の女性と別れた理由はいつも一緒で、屋外コスプレ活動がやめられないこと

バットマンコスプレ

あとは女性として、「私の彼氏、大勢の人を救ったアイアンマンなの」

と友達に自慢できるのと、↓↓

アイアンマンと彼女

 

『私の彼氏、夜な夜なコウモリのコスプレしてチンピラと戦ってる(しかも誰にも言えない!)』↓↓

戦うバットマン

どっちらの男性を選ぶかで、抱えるストレスが段違いだということがわかるだろう。

加えてバットマンの彼氏になった場合、キャット・ウーマンという手強いストーカーまで現れる。

キャットウーマン

結果、バットマンはどう頑張って敵を倒しても女性にフラれる。可哀想である。

それがまたチーム活動にも影響を与え、ジャスティス・リーグはさらに暗い雰囲気に。

次は2人の交友関係を比較してみよう!

同年代の友達がいるorいない

アイアンマンことトニー・スタークにはローディやホーガンなど、社会的立場があり冗談も言い合える友達がいる。

アイアンマンの親友ローディ

恋人としてその輪の中に入れば、毎日楽しく過ごせる事請け合いだ。

一方、バットマンことブルース・ウェインには、皮肉ジジイのアルフレッドしか話し相手がいない。

あなたがブルースの彼女になった場合、ジメジメした洞窟でジジイと3名。気まずそう。

洞窟にいるアルフレッド

アルフレッドは気を利かせて昔話を始めるが、ジジイなので内容は毎回同じ。紅茶はうまい。

映画を観た女性は「いつも楽しくなさそう」という交友関係まで想像し、ジャスティス・リーグは頑張って敵を倒しているにも関わらず、ファンが減ってしまうのである。

海外での比較動画

海外ではマーベルvsDC論争は日本より数段パンチが効いている。

下記動画は英語だが、言葉がわからなくても、実写映画版のバーベルとDCの状況がわかる!

コーナン・オブライエンというアメリカの司会者が作った面白い動画。

youtu.be

バットマンとアイアンマンの比較まとめ

世の中の半分は女性。財布の紐を握るのも女性。

つまり、コンテンツとして成功するかどうかは女性ファンをどう取り込めるかに掛かっている。

そこで女性目線で分析してみたが、リーダーのバットマンがいくつも致命的要素を抱えており、それがチームにも伝播してジャスティス・リーグの人気が落ちている可能性が高いと理解いただけただろう。

  1. 打ち上げやパーティーが出来ない
  2. トラウマを持っていて付き合いづらい
  3. パートナーシップが続かない
  4. 友達がいない

女性から見たバットマンはこんな感じに映っているのかもしれない。

しかしながら、僕はそんなバットマンとジャスティス・リーグを心から応援しています。

女性ファン獲得のために軟弱になるなんて言語道断!これからも根暗で最高なコンテンツを作り続けてくれ!

映画『バットマン』シリーズやジョーカーについての関連記事

当サイトCineMagには『バットマン』の映画シリーズや、ジョーカーについて徹底解説した関連記事がたくさんあるので、いくつか紹介します。

バットマンやヴィランたち、キャストなどの魅力をもっと知りたい!という人は、気になる記事をピックアップしてください。

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日本男児がインド映画「バーフバリ」から学ぶべき4つの恋愛術!あらすじネタバレ

全く迷いのない恋愛スタイルで女性を虜にするバーフバリ。

バーフバリを観て、恋してしまった女性は多いだろう。確かにバーフバリは、男性の僕から見ても頬を赤らめてしまうような男らしさで溢れている。

バーフバリの男性的な魅力の秘密はなんなのかを解説するとともに、今の日本男児がバーフバリから見習うべき4つのポイントも提案させて頂きたい!

注)ここから先ネタバレあり!

一途さと実行力

バーフバリは、アヴァンティカ(ヒロイン)が落として滝の下まで流れてきた顔型マスクを眺めるだけで恋する。

もう、なんてゆーか、純情を通り越し、変態の域からもう半周回ってやっぱり純情!

そして、マスクの持ち主の女性に探すため、なんと雲の上まである滝を素手でよじ登ってしまう。

ポイントを理解していただけたであろうか?

バーフバリはその女性と初めて会うにもかかわらず、すでに”あなたに逢うために苦労して崖を登った”という大アピールポイントを手にしているのだ。

やはり、王になるべき男はスタートからして違う(スタートでもう勝っている)。

滝をジャンプするバーフバリ

女性からすれば、「あなたに会うために、アドベンチャーしてきました!」って言われたらなんかドキッとしない?

困難を乗り越えてその人に逢いたいって、男女のロマンスの原点だよね。

というわけで、栄えある日本男児かつ、なかなか彼女が出来ない諸君には、このような状況下を作り出してから告白することを強く提案したいのだが、

インフラが発達した現代日本で、自分の手足で困難を乗り越えて来ました!という環境はなかなか作りづらい。

「電車で3時間かけて来ました!」って言われてもなんかキモいし、公共機関を使わずに、わざわざ歩いて来られても、なんか非常にキモい。

そこで提案なのだが、一旦、アマゾンにでも行ってくれないか?そこで遭難してみないか?そしてそこから無事生還してみないか?

アマゾン川

その後TVのインタビューで「あなたに会うまで死ねないと思った」とかなんとか言えばバッチリだ。

もし仮に告白が成功しなかったとしても、大自然から生還した「アマゾン」というあだ名をゲットできるぞ。

揺るぎない自信=ネコ科!

バーフバリは自分が世の中で一番カッコよくて強いことを本能的に理解している。

それが自信となって身振り手振りに表れるので、女性は彼にメロメロになる。

システム的には、自分が世の中で一番かわいいと理解して人間をメロメロにし、下僕のように扱う猫とまったく一緒だ。

(明らかに自分の可愛さを自覚している猫)

カンの鋭い日本男児ならすでに共通項に気付いただろう。

バーフバリは百獣の王(ヒゲも生えてるし)、つまり彼もネコ科である。

そう、ネコ科になれば女性をメロメロにできる。自信もみなぎる。

そこでネコ科の男になるための秘訣をまとめてみた。

  1. 毎日2時間昼寝
  2. 基本的にお礼は言わない
  3. 毎日近所を散歩
  4. 活動時間を夜にする

これで、意中の相手は君にメロメロ。

例え告白がダメだったとしても「若い頃は非行少年だった」と君の経歴に箔(ハク)が付くので安心だ!

女性の魅力を引き出す化粧技術

バーフバリはアヴァンティカ(ヒロイン)の攻撃を上手く避けながら、木の実の汁で立派な化粧を施し、彼女の魅力を最大限引き出してドヤ顔をしてみせた。

「俺といるとキレイになるぜえ!」という非常にシンプルかつ強烈なメッセージである。

相手の攻撃をかわしながら化粧をするというのは非常に高い技術レベルなので、すぐには難しいだろう。

しかし、ここであきらめてしまうは勿体無い!日々の積み重ねが大事だ!

まずは、こっそり姉か妹の化粧道具を毎日使ってみることから始めよう!

例え、意中の相手に化粧をする機会が訪れないまま実家から放り出されても、

メンバー不足のビジュアル系バンドに加入することはできる!

人望が厚く人気者!

女性は人気者が大好き!目立っていて人望が厚い、ボス的存在を本能的に求める。

デーヴァセーナが王宮を追いやられて一文無しのバーフバリについていったのも、彼が村人からの底しれぬ尊敬と人気を集めていたからだろう。

人気のあるバーフバリ

ただ、人気者になるというのは、人によってはアマゾンから生還するより遥かにハードルが高い。

すでに肌で感じている通り、人気は生まれながらの性質によるところが大きいからだ。

しかも人気者になる方法とかで調べてみると、「人気者を目指す時点で人気者の路線から外れている」という強烈なアンチテーゼを発見(参考サイト)。

つまり、不人気な人が頑張ってアマゾンから生還したとて、

”ヒーロー”でなく「アマゾン」という呼び名でみんなにからかわれるだけなのだ。

人の世は予想以上に冷たい。

人気者になるための策を考えるのはなかなか難しいが、この記事の1〜3までの項目を達成した君はすでに、化粧したネコ科の男性(しかも、アマゾン帰り)、もう恐れることは何ひとつないはずだ!

さあ、世界に向かって羽ばたこう!

化粧したネコ科の男性

もはや恐るモノは何もニャい!

バーフバリの恋愛術まとめ

ここまで、バーフバリの恋愛術を日本男児も取り入れることを推奨してきたが、一歩間違えると違う世界に羽ばたいてしまうようだ!

しかし、恋愛にリスクはつきもの、バーフバリになるか、世界に通用する変態なるかはフィフティーフィフティー!

猫スロット

男の人生なんて所詮ギャンブル!

いずれにせよ、今すぐアクションを起こすことが一番大事だという事をバーフバリは教えてくれたのかもしれない!

バットマンをマーベルのアベンジャーズに入れてくれないか!?ワンダーウーマンはいいです!

なあ、マーベル。頼むからバットマンをアベンジャーズに入れてくれないか?

試しに、1回でいい!  どうにか出演させる事はできないか?

いやいや、スーパーマンやワンダーウーマンはいい、彼らは入れなくていい!

バットマンだけで良いんだ。人気的にもMARVEL DCともにwinwinの関係だろう?

え!?ダメ? 根暗がだからか? いやいや、ちょっと待ってほしい!

今こそ!バットマンがMARVELのアベンジャーズにふさわしいということをプレゼンしてみせる!

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本ページの情報は2021年8月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

バットマンのDCでの現在の境遇

まずはバットマンの現在の境遇を考えてみよう。

バットマンのジャスティスリーグでの境遇は悲惨なものだ。アベンジャーズの方が絶対彼にとって居心地がいい!

なぜってアベンジャーズはさ、ああ見えて普通の人が活躍するポジションがしっかりあるんだ。

ブラック・ウィドウやホーク・アイがいい例で、彼らは身体能力が高い普通の人だろ。

アイアンマンやウォーマシンだって元は普通の人間。

一方、ジャスティスリーグを見てほしい。

空を飛んでビル一棟持ち上げられるスーパーマン、銃弾を好みじゃないアクセのごとく弾き返すワンダーウーマン、超高速のコミュ障、自己嫌悪中のサイボーグ、魚と喋れるタフガイ。

そう、純粋な人間はバットマンしかいない。(メンバーの雰囲気もどことなく暗い)

おまけにジャスティスリーグでは、ヴィランまでスーパーマンとかワンダーウーマンの強さを基準に作られるので、バットマンはバットモービルで雑魚を掃除することくらいしかできない。

ジャスティスリーグでスーパーパワーがないというのは、クラスのLINEグループに一人だけ追加されていないという状況に等しい。圧倒的疎外感だ。

誰か「バットマンがかわいそうだ!」と手を挙げる生徒はいなかったのか?

常に戦力的に一番足を引っ張っているのがバットマン。他メンバーも薄々それを感じてきているのが垣間見えてツライ。

その点、アベンジャーズに入ればブラック・ウィドウやホークアイのような同じ境遇の仲間がいるし、トニー・スタークと仲良くなれば、強力な武器をプレゼントしてもらえるかもしれない!

さあ、次の章では、バットマンがアベンジャーズに入ることで起こるメリットを、はりきってプレゼンして行く!

バットマンがアベンジャーズに入るメリット1:バットモービルなど乗り物をみんなで使える

バットマンがアベンジャーズ入る一番のメリットはクールなクルマを持っているということ。

バットモービル

アベンジャーズは意外と現地集合が多いだろ?そして飛べないメンバーは普通にジェット機とかで来るわけだ。

でも待ってほしい。ヒーロー映画で移動に普通のジェット機って、見せ場をみすみす逃してやいないか?

バットマンをアベンジャーズに入れてくれたら、、

バットモービルを運転して敵陣に矢の如く猛進するホークアイが見れるぞ!

バットモービル

バットウィングにのりハイテンションで叫ぶピーター・クイルも!

batwing

 

どうだ?見たいだろ?

「なんだその上から目線は!」だって? ごめん、素直にあやまるよ。

最悪乗り物は壊してもいい。金持ちだから問題ない。

だから、バットマンに優しくしてくれよ。

スーパーマンとかワンダーウーマンはクルマ持ってないからアベンジャーズに入れるなよ!

登場人物の年齢層の幅が広がる

アベンジャーズのウィークポイントを一つ教えよう。

それは出演者にジジイがいないこと。

バットマンをメンバーに加えるだけで、アルフレッドやフォックスなど、ジジイの執事や開発者が登場人物に加わることになる。

ジジイのアルフレッド

君はこう思っただろう。「ジジイは別にいらなくね?」

いやいやいやいや、実に浅はかな考えだ。

使えないジジイが登場することで、

  1. ヒーローの挑戦がどれだけ無謀か視聴者に見えやすい
  2. 作品に哀愁が漂う

これらの映画の完成度を上げるために必要な要素が一気に2つも揃うのだ!一爺二鳥!

エンドゲームではキャプテン・アメリカが自らジジイになって登場するという荒技をみせたが、実はこれも作品に哀愁を漂わせるための作戦。

ひとつ具体例を挙げてみよう。

悩んでいるブラック・ウィドウがジジイのアフルレッドにちょっと相談するシーンを挟むだけで、彼女の気持ちや悩みが読者が共感できるものとして映る。ヒーローがヒーローに相談するという特殊な構図よりずっと効果的だ。

ブラック・ウィドウ

ジジイが何となくそれっぽいことを一言二言作品に添えるだけで OK!そう「左手とジジイは添えるだけ」

マイケル・ケイン

耳付きのキャラが増える

アベンジャーズのウィークポイントをもう一つ教えよう。

それは耳が付いているキャラクターがブラックパンサーしかいないことだ。(アライグマ野郎は動物なので除外)

言うまでもなく、この世の中には”耳が付いていた方が萌える”という変態が一定数存在する。

彼らをファン層に取り込むためにも、立派な耳が付いたバットマンは必要不可欠な人材なのだ!

そしてなにより、バットマンというコスプレ男子がいることで、ブラック・ウィドウのコスチュームもより攻めた物にできる。

例えばブラック・ウィドウがいきなり猫耳をつけてても、バットマンの陰に隠れて誰にもツッこまれないのだ。

こうして耳付きのブラック・ウィドウという素晴らしいキャラ変更が可能!

スカーレット・ヨハンソン

バットマンをアベンジャーズに入れて欲しい!プレゼンまとめ

如何だっただろうか?このプレゼンを読んで!その通りだと思った人も一定数いるだろう!

しかし、思うだけではなく、行動しないとダメだ!

まずはツイッターで「バットマンVSアベンジャーズ観たいなぁ」と一日置きにつぶやくことからはじめてみよう!

映画『バットマン』シリーズのおすすめ関連記事

当サイトCineMagには『バットマン』の映画シリーズや、ジョーカーについて徹底考察した関連記事がたくさんあるので、いくつかリンクを貼っておく。

バットマンやヴィランたち、キャストなどの魅力をもっと知りたい人は、気になる記事をピックアップして読んでみてください。

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